PCの出荷台数が減っても決してPCは無くならないと考える理由

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先日、2022年のPC出荷台数が発表されました。結果は前年比14.7%減で過去2番目の低水準とのこと。

このニュースだけを見ると「やはりPCは無くなっていくのか」と考えがちですが、私の意見は少し違います。

出荷台数は減るのが自然

そもそも論なのですが、PCの出荷台数は減っていくのが自然だと考えています。

というよりも、かなりまえに「普及期」が終わっているので、日本国内でPCが必要な人には十分に行き渡っているのが実情です。

また、PCの機械的な寿命が延びたこと、高性能化したことで耐用年数が伸びていることも見逃せません。20年前なら5年ごとに買い替える必要があったのでしょうが、現在は余裕で7~8年は持ちますからね。

性能的にも特に重いゲームをしなければ十分です。ということで、「新規に購入する人が減っている」「耐用年数が伸びている」という2点から出荷台数は微減傾向になるのは当然のこと。

似たような例としは自動車がありますね。自動車も購入者の数が減っていることに加えて、本体の高性能化・高品質化で廃車までの年数が毎年伸びています。(現在は平均13年ほど)

これは先進国に共通した傾向で、工業製品が必ずたどる道でもあり、それほど心配する必要はないと思います。

PCは汎用性の高さで生き残る

スマホやタブレットが普及していくにつれ、PC不要論を唱える人が増えました。

PC不要論の主張は、「スマートフォンやタブレットが一般的な情報処理・収集には便利で、PCは不要である」というものです。

確かに、スマートフォンはコミュニケーションや情報閲覧において優れた性能を持っています。身近な生活や娯楽、趣味、社会参加などの面ではスマートフォンだけで事足りることが多いでしょう。

また、タブレットも読書や軽作業などで重宝します。しかし、情報の編集・加工、創作、計算処理などはPCの領域であり、PCの汎用性の高さが求められる場面が依然として存在します。

端的にいえば、スマホやタブレットで消費されるコンテンツの大半はPCで作られていますし、よりハイクオリティな映像・ゲームはまだまだPCで再生するのが最適解です。

情報の編集・加工や創作には「人間の体に合った物理的な大きさ」や「高い性能」が求められます。仕事や学業は情報編集・加工・創作・計算の連続であり、PC以外では代替しづらいのです。

オンラインの活動が増える現在、PCとスマートフォン・タブレットの役割が徐々に明確になり、逆にPCの必要性が高まっていると感じます。

ゲーミングPCの定義自体が変わる可能性も

とはいえ、現在の形のままPCが生き残っていくかと問われると、疑問が残りますね。

クラウドゲーミングの登場やスマホ向けSoCを搭載したノートPCの登場など、PCとそれ以外のデバイスの境界線が曖昧になっているからです。

現在のゲーミングPCは、高性能なグラボやCPU、大容量のメモリ、高速なストレージなどを備えています。しかし、技術の進歩により個々のパーツがより小型化され、同等以上の性能を持つ小さなデバイスに搭載される可能性があります。

ミニPCの台頭やmini-ITXの人気も、結局のところは「ゲーミングPCの姿が変わっているだけ」とも言えるわけです。最終的の残るはキーボードとマウス、モニターのみかもしれないですね。

ただし、グラボやCPUは再び大型化の流れがあるため、どういった方向に向かうのかはっきり予測できない状態です。また、奇しくも「予測できないほど変化している」ということ自体が、まだPCの需要があることの証拠なのかもしれません。