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「昔のゲームはもっと難しかった」
これは、多くのゲーマーが一度は口にしたことがある言葉かもしれません。ファミコンやスーファミ時代に育った世代にとって、ゲームは攻略本や友達との情報交換なしには進めない“試練”のような存在でした。
では、なぜ現代のゲームは「難解さ」よりも「体験」や「わかりやすさ」が重視されるようになったのでしょうか?今回は、ゲームの進化とユーザー嗜好の変化、そして文化的な背景を踏まえてこのテーマを掘り下げます。
昔のゲームと今のゲーム、何が違う?
まず、昔のゲームはプレイヤーに試練を与える「思考型」でした。
1980~1990年代のゲームは、説明書が必須で、ヒントも少なく、試行錯誤と攻略が前提でした。
ステージの構造を覚えたり敵の動きを研究したりと、「クリアすること」そのものがゲームの目的であり、攻略本や友達との情報交換がコミュニケーションの一部でもありました。
これに対して今のゲームは没入感と体験重視の「エンタメ型」です。
2000年代以降、グラフィックの進化やストーリーテリング技術の向上により、ゲームは単なるパズルやアクションから、映画のような体験を提供するメディアへと進化しました。
ユーザーの多様化に伴い、「詰まって辞めてしまう」ことを避ける設計が増え、チュートリアルやマーカー、ヒント機能が充実するように。難解さよりも「快適さ」「没入感」「成功体験の積み重ね」が重視される傾向が強まりました。
簡単に言ってしまえば、昔のゲームの「むずかしさ」は単に面倒だっただけという評価が下されるようになったわけです。思考よりも体験が重視されるので、今のゲーマーに難解な謎解きは不要という結論なのでしょうね。
なぜ難解なゲームは減ってしまったのか?
ここでもう少し「難解なゲーム」が減った理由を整理してみましょう。
ユーザー層の拡大
昔は「ゲーム好き」が中心でしたが、今はライト層・年齢層・性別問わず多様なユーザーがプレイします。誰でも楽しめる設計が求められるようになり、実際に快適でなおかつ感動が手っ取り早く得られるタイトルがヒットしますね。
エンタメ全体の流れ
NetflixやYouTubeなど、時間効率の良いコンテンツが増加しました。ゲームも「短時間で気軽に楽しめる」方向へシフトしているのだと思います。
SNS時代の影響
自分のプレイを共有したり、配信で観戦する文化が生まれました。視聴者にとっても「わかりやすい」「展開が早い」ゲームの方が相性が良く、見ていても楽しですからね。
謎解きやダンジョンは見るものに楽しさを提供しにくいので、好まれないのかもしれません。
海外と日本:求めるゲーム性の違い
興味深いのは、日本と海外で「ゲームの好まれ方」に違いがある点です。
日本では「親切設計」「キャラクター性」「ストーリー性」を重視するタイトルが好まれます。難易度よりも“楽しさ”や“感情移入”が評価されやすいのです。
一方、海外では「高難度」や「理不尽さ」すら“やりごたえ”として歓迎される傾向にあります。
『ダークソウル』シリーズのような挑戦型ゲームが高評価を得ていることからもわかるでしょう。また、eスポーツやハードコアゲーマー層が多く、競技性やテクニックを重視する風潮が強いです。
それでも“難しいゲーム”はなくならない
とはいえ、すべてのゲームが簡単になっているわけではありません。近年では、『ELDEN RING』『Hollow Knight』『Cuphead』のように、高難度でありながら世界的にヒットするタイトルも多数登場しています。
これらはただ理不尽なのではなく、「緻密に設計された挑戦」「自力で乗り越える楽しさ」があるからこそ、多くのファンを生んでいます。要するに、「難しさ」にも“質”が問われている時代なのです。
ゲームの進化=プレイヤーとの関係性の変化
ゲームが「簡単になった」と感じるのは、ゲームとプレイヤーの関係性が変わったからとも言えます。プレイヤーが「乗り越える存在」から、「体験する存在」へとシフトした結果、設計思想も変わってきたのです。
しかし、“簡単=つまらない”ではなく、“誰でも楽しめる”という進化でもあります。そして今もなお、「難しさの美学」を貫くゲームが評価されているのは、ゲーム文化の奥深さを物語っています。